INTERVIEW | 真山亜子さん

真山亜子さん インタビュー


【真山さんプロフィール】
真山亜子(まやま・あこ)
1958年、岐阜県生まれ。2002年にストーマを造設。声優として、数々のアニメーション作品や海外ドラマなどの吹き替えを担当している。主な出演作は『ちびまる子ちゃん』(杉山さとし役)、『忍たま乱太郎』(乱太郎の母)、『ER緊急救命室』(看護師ヘレエ)、『E.T.』(E.T.)など。「ブーケ 若い女性オストメイトの会」会員。「日本オストミー協会」会員。

【真山さん出演舞台のご案内】
笹塚ファクトリー提携公演 「夢のつづき」 3月19日~24日
高校時代の演劇部の仲間の死をきっかけに葬儀に集まり、その彼女の残した未発表の戯曲を上演しようと決めた。40代となった彼女たちの家族、関わる人々を巻き込んで次々とトラブルが生まれる。彼女たちの夢の行方は……夢か? 現実か?

「やっと体調も落ち着いてきて、12年ぶりに舞台に立てることになりました。人の舞台を観にいって、いつかもう一度舞台に立ちたいと思ってました。夢がひとつかないます。わたしも同じような体験があります。このお芝居に出ることになり、何か縁をかんじます。是非いらしてくださいませ。インタビュー読んで下さり、ありがとうございます。 」真山亜子
▶ 笹塚ファクトリー提携公演 「夢のつづき」 http://www.yumenov1.com/







◆オストメイトの認知度を高めたい
オストメイトの認知度を高めたい――真山さんは数々のアニメーション作品や洋画(海外ドラマ)の吹き替えなどに参加。声優として活躍しています。芸能人でありながらオストメイトであることを公表するのは、勇気がいることだったのではないでしょうか。
「オストメイト」と呼ばれる人たちがいるんだよ、ということをもっとたくさんの人に知ってほしいんです。私自身、10年ほど前にストーマを造設するまで、その存在を知りませんでしたから。でも、私たちの存在を認知してもらうことで、もっとバリアフリーな世の中になればいいなと思うんですよ。


たとえば、オストメイト用のトイレ。現在は車いすのまま入れるような多目的トイレにしかありませんが、普通のトイレの個室に水道と装具を取り替えるための台を付けてくだされば事足りるんです。それはオストメイトでない方にも便利だと思うんです。



――「もっとたくさんの人に知ってほしい」ということなんですね。ご自身のブログでも、オストメイトとしての日々の生活をつづっています。
最近あまり更新できていないんですけどね(笑)。でも、ブログに書いているのも、やっぱりいろいろな方にオストメイトのことを知ってもらいたいんです。あとは、私がアニメーション作品もやらせていただいていることもあって、友人のお子さんとも仲良くさせていただいているんですけど、とあるオストメイトの女性から、思春期のお子さんが「自分(母)がオストメイトであることをとても嫌がっている」と聞いて。頭では理解できるんでしょうけど、思春期ということもあってそういう態度を取ってしまうんだと思います。



でも、そんな時に「この作品の、あの声の人もオストメイトなんだ」「こんなおもしろい声を出している人もそうなんだ」と知ることで、その子のお母さんがオストメイトであることも受け入れられるようになればいいな、と思っていて。そういう意味では、渡哲也さんはオストメイトの認知にすごく貢献してくださっていると思います。ストーマのことを話せば「ああ、渡さんもそうなんだよね」となりますし。私も、少しでもそういう部分で貢献できるようにと思っています。







◆目が覚めると“ストーマちゃん”がいた
目が覚めると“ストーマちゃん”がいた――真山さんがオストメイトになったのは約10年前とのことですが、その経緯について教えてください。
話はさかのぼりますが、23年ほど前に関節炎がひどくて病院に行ったところ、「べーチェット病ではないか」と医師に言われて。別のところでは「クローン病じゃないか」と。その2つは症状が似ていて、「どちらかわからないから両方申請しておこう」ということになりました。


3年後の35歳の時、しばらく寛解期が続いたこともあって、ステロイドの服用を自分の判断でやめてしまったんです。仕事も忙しくなってきて、病院にも行かなくなっていたある時、食後の膨満感がすごくなって。翌朝トイレにいったら、わっと出たので「便秘気味だったのかな」と思ったんですが、ふと便器を見ると真っ赤に染まっていて。それで救急車を呼んで、入院することになりました。



――その時にストーマを造設したのでしょうか。
その時は、食事を止めて中心静脈からの点滴で腸を休めて、プレドニンと免疫抑制剤、サラゾピリンのお薬で何とかなりました。退院からしばらくは、ステロイドの量も多く、体調も安定しなかったけど、それから何年かして、寛解期。また無茶しはじめました。治った! とまたもや、勝手にステロイドをやめて、強いストレスがかかったことで、大変なことになりました。牡蠣にあたったのが引き金か下痢と下血が止まらなくなりみるみる痩せていきました。しばらく行ってなかった病院に駆け込み入院。43歳の春でした。
入院して1週間後に猛烈にお腹が痛くなり、緊急手術となりました。
それで1回、手術をしたんです。でも、術後に血圧が下がってきて「もう一度お腹開きます!と。腸に穴があいてしまっていたんですね。結果、1日に2回、全身麻酔を打ちました。ストーマを造設したのは、その2回目の手術の時ですね。最初の手術の前には「もしかしたら人工肛門になるかも」と言われただけで、人工肛門がなんなのかわからないまま手術に入りました。人工肛門になったのは2度目の手術の後でした。夜中に呼び出された主人は「もしかしたら助けられないかもしれない」と言われていたそうです。



――その時の心境というのは。
2回目の手術をすると言われた時に、ちょうど前の日の新聞で読んだコラムに書いてあった「なってしまったものは仕方がない」という言葉がパッと浮かんで。それで「仕方がないか」と2度目の手術を受け入れられたんだと思います。


その時のことで今でも印象的なのは、看護師さんの「血圧、触診で計れません」という言葉。これは、海外ドラマ『ER緊急救命室』で私が吹き替えを担当したヘレエという看護師の、患者さんが危ない時に言う台詞と同じものだったんです。なので、自分が今危険な状態にあるというのもすぐにわかりました。そうして2度目の手術が終わりICU(集中治療室)に入って目が覚めると、お腹のところに大腸ストーマと小腸ストーマちゃんがいたんだと思います。







◆緊急手術――そして、職場復帰へ
――ストーマ造設は急なものだったんですね。突然な体の変化に困惑する部分もあったかと思いますが。
私の場合は、少し時間が経ってから精神的にきました。私だけではないと思うんですけど、病気が本当にひどい時って、反して楽天的になってしまうというか。激流に流されていて、何がなんだかわからないんですよね。流れが緩やかになる治りかけの頃やリハビリの時が一番つらかったです。


今でこそストーマ患者をめぐる環境は日々改善されていますが、当時はストーマを専門領域とするETナースさんが私の入院した病院にはいませんでした。術後は合併症もひどく大腸から血も出たり、とにかく最初は装具の交換がうまくできずに苦労しました。のちに、ETナースさんがきてくださるようになり、大腸ストーマには小児パウチ、小腸ストーマにも合うパウチを貼れるようになりました。



――声優は新陳代謝の激しい業界というイメージがあります。長期にわたって入院することで、仕事に関する不安はありましたか?
そうですね。実は2回目の手術の時、ICUの中で夢を見たんです。ジェットコースターに乗りながらプロデューサーさんに向かって「私、できます!!!!!!!!!」と絶叫する――という内容なんですけど(笑)。というのも、当時今でも人気のあるアニメでいい役をいただいていたのですが、その時の入院で降板せざるを得なくなってしまって。周りのスタッフにご迷惑をお掛けすることへの忸怩(じくじ)たる思いがあって、そんな夢をみたんでしょうね。


少し落ち着いてからは、病院からアフレコの現場に通うようになりました。退院後もお腹に膿が溜まってしまったりして、ちゃんと復帰できたのは手術から3ヶ月後くらいだったと思います。代役の方に変わってしまったものもあるけど、代役を立てずに私のことを待ってくださった作品もあって……本当にありがたいですね。


でも、復帰当時は体重が10数キロもやせて腹筋が全然なくなってしまい、なかなか思うような声が出なくってしまっていたんです。しかも、そういう時に限って声を張らなくてはいけないシーンだったりして。周りのスタッフは「大丈夫です!」と言ってくださったけど、自分ではその時の作品はちょっと見たくないというのが正直なところです。



――これからストーマを造設するという方の中には、その後の生活の変化の中で「職場復帰」という部分を心配する方も少なくないと思いますが、真山さんから何かアドバイスがあればお願いします。
慣れないうちは気になって大変だと思いますが、ひとりでも職場で打ち明けられる人がいるといいですね。わかってくれる人がいると、少し安心かと。私も仕事場で漏れてしまって大変だったこともありますが、なんとか切り抜けることができました。時にはつらいなと思うことがあるかもしれませんが、前向きに考えて自分に良い方法が見つけられたらと思います。慣れてくればパウチの交換も素早くできるようになりますから。


オストメイトということを伝えると「実は主人がそうなんです」「親戚にもいますよ」という反応が返ってくることもあります。意外と、あなたの周りにもオストメイトがいるかもしれませんよ。







◆外出時の用意は失敗から学んだ
外出時の用意は失敗から学んだ――仕事や外出の際にストーマのことで気を付けているのは、どういう部分でしょうか。
交換用の装具は「これくらいあれば平気だろう」と思う枚数よりも、必ず多めに携帯するようにしています。特に最初の頃は、貼り替えに失敗することもあったので。たとえば旅行に10枚持っていって、その内2・3枚しか使わなくても無くなるよりはいいじゃないですか。私はイレオストミーの上、ストーマの周りが潰瘍になったこともあり特別漏れやすく、特に気を使います。実は昔、旅行の際に装具のストックがなくなってしまって。その時は旅行先の近くでストーマ外来のある病院を見つけて、予備の装具もを1枚もらって何とか帰ってこられました。平日でストーマ外来のある病院があって本当に良かったです。そんなヒヤヒヤしたエピソードですが、この失敗も、これからストーマを造設する方の役に立つなら結果オーライです(笑)。普段はパウチ2~3枚と必要なもの諸々を持ち歩いています。



――(笑)。ほかには、どのような部分に気を遣っていましたか?
あとは食事ですね。術後はなるべく消化のいいものを食べるようにしていました。白いものは消化がいいので、ハンペンや白身魚などをよく食べていましたね。気付いたらテーブルの上が白いものばかりになっていたこともあります(笑)。しばらくして何でも食べるようになり……失敗を繰り返して、最近やっと! お肉類はなるべくやめておこうという結論に達しました。人それぞれダメなものが違うと思いますが、自分の腸に優しい食事をしてください。


芝居や映画鑑賞など、何時間か身動きが取りづらくなる前に食事をする場合は、私はおにぎりを1個だけ食べるようにしています。私はイレオストミーなんですが、食べたものが比較的早く袋に出てくるんですね。なので、そういう用事の前はあまり食べずに自由に身動きできるようになってから、しっかり食べるようにしています。これは今でも変わりません。そして緊急事態に備え、座るのは通路側、できればトイレに近い扉のそばの席にしてます。


このあたりは、コロストミー・イレオストミー・ウロストミーなどによって多少変わってきますので、同じストーマの種類の方の話を参考にするのがいいと思います。







◆あなたは、一人じゃないんだよ
――真山さんがオストメイトになって、10年が経ちました。ストーマとの付き合い方には、どのような変化がありましたか?
最初の頃は四六時中向き合っていました。1日2回装具を貼り替えていた時期もあって、お風呂場で1・2時間格闘したり(笑)。ずっとお腹のあたりを見てて首が痛くなったり。それこそ、赤ちゃんみたいな存在だったんですよ。初期のころは3時間おきに排泄、自分でお世話しなくちゃなりません。「ストーマちゃん」という大事な赤ちゃんがお腹にやってきたんだなって。でも、ストーマちゃんも今は成長して、装具は長ければ2日ほど交換しなくても大丈夫になったので、少しはラクになりました。


体調のことで仕事の役がなくなってしまったこともありましたが、「なくしてしまったものを嘆いても仕方がない」と今なら思えます。時々「こうじゃなかったら……」と思うこともありましたが、「あれがダメなら、これがあるじゃない」と頭をプラス思考に切り替えるようにしています。



――最後に、これからストーマを造設する方に向けてメッセージをお願いします。
ストーマがなかったら「私は生きていられなかったかもしれない」と思うんです。ストーマがあるからこそ、今こうして仕事もできているし、苦労はありながらも毎日を楽しむことができています。生きている限り道は続きますから。


別にね、いつも元気で前向きでいなくたっていいんです。落ち込む時だってありますよ。でもそんな時、あなたのことをわかってくれる人は必ずいますから。協会やブーケには、あなたと同じようにつらい経験をした先輩、仲間がたくさんいます。同時に、元気に毎日を楽しみながら生きている人も、いっぱいいます。「あなたは一人じゃないんだよ」「困った時に助けてくれる人がいるんだよ」ということを、知ってもらえればと思います。







オストメイトのココが気になる!? ー女性のファッションー
私の場合、ストーマの位置のせいもあって、腰回りがピタッとした服は着られないので、ジーンズなどを履きたい時は大きめのジーンズをサスペンダーで吊るすようにしています。あとはチュニックもよく着ています。ブーケの仲間で食事会に行く時などみなさんおしゃれな格好してらっしゃいます。こんなファッションできるよって、皆さんがモデルになってファッションショーできるといいですね。着物もなんとか着ていますよ。



泣き笑い ストーマ物語(部分)