INTERVIEW | 工藤裕美子さん
【工藤さんプロフィール】
工藤裕美子(くどう・ゆみこ)
1964年、兵庫県生まれ。23歳当時、直腸がんの手術でストーマを造設する。99年には「ブーケ 若い女性オストメイトの会」を設立、代表を務めている。ほかにも、公益社団法人日本オストミー協会業務執行理事/兵庫県支部幹事、同協会本部所属の20/40(にいまるよんまる)フォーカスグループ運営メンバーとしても活動中。
【ブーケのプロフィール】
「ブーケ 若い女性オストメイトの会」
1999年設立。「若い世代(10代~50代)の女性オストメイトが悩みを話し合える場所」として、掲示板やメールでの相談活動のほかに、全国各地で座談会や食事会などを開催している。会員数は350人以上(2012年10月現在)。会の名前は、「多様な個性が集い、彩り豊かな花束となって輝くように」という意味が込められている。
◆若いオストメイトの心のケアを
――工藤さんが運営メンバーの一員として活動している「20/40フォーカスグループ」(公益社団法人日本オストミー協会所属)による冊子『ストーマと生きる ~若いおストメイトのためのガイドブック~』が、10月に発行されています。同冊子はどのような目的で制作したのでしょうか。
50代までの若いオストメイトの体験談をまとめた冊子をつくりたかったんです。ストーマのケアに関する書籍はたくさんあるのですが、体験談はほとんどなくて。たまに目にしても、それは年配者の体験談がほとんどでもちろんそれも大切なんですが、年配者とは生活環境が違うので、若いオストメイトが参考にできる部分が限られてしまうんです。
私が代表を務めている「ブーケ 若い女性オストメイトの会」では、2008年に会員の体験談を掲載した『元気の花束 ~Living with an ostomy~』という冊子を発行しているんですが、当時反響があったので、やっぱりそういうものは必要なんだと。やっぱり、人の体験談は参考になりますし、元気になれるんですね。ストーマのケアも大切ですが、心のケアも同じように大切ですから。
――「ブーケ 若い女性オストメイトの会」では、どのような活動をしているのでしょうか。
「ブーケ」は、若い年代のオストメイトを支援しようと1999年に立ち上げたグループで、現在は10代から50代の女性を中心に350人以上の会員が登録しています。掲示板やメールでの相談活動のほかに、全国各地で座談会や食事会などを開き、恋愛・結婚の悩みをはじめ、妊娠・出産、仕事のことや日常生活など、若い女性オストメイト特有の悩みを話し合える場を提供しています。
たとえば、ストーマ造設後に「子どもが欲しい」となった場合、やはり同年代で同じ経験をしたオストメイトじゃないと具体的なアドバイスができないんですね。私自身、20代でストーマを造設した当時、周りに同年代のオストメイトがいなくてつらい日々を送っていました。それが「ブーケ」立ち上げのきっかけにもなっています。
◆直腸がん―― 23歳でオストメイトに
――工藤さんがオストメイトになった経緯について教えてください。
23歳当時、直腸がんで腹部に人工肛門を造設しました。新婚5ヶ月目のことでした。病気がわかる1年ほど前から出血があって、最初は痔(ぢ)だと思っていたんです。でも、だれにも言わず、病院にも行かず。恥ずかしいじゃないですか。だから、そのまま放っておいたんです。
それから少しして結婚して、子どもも欲しいし、一度病院に行ったほうがいいのかな、と思って病院に行ったら「ポリープができている」と医者の方に言われて。「良性だから、手術して一週間ぐらいで退院できるよ」ということだったので、すぐに入院したんです。それで、いざ手術してみると悪性の腫瘍だったんです。当時(1990年)は、がんができたら大きく切り取るというやり方だったので、結果的に「人工肛門にしましょう」という話になりました。
――人工肛門になるという話を聞いた時は、どのような心境だったのでしょうか。
私が高校生の頃、テレビで人工肛門の方たちが紹介されていたのが記憶にあって。「大変そうだったな。あんな感じにになるんだな」と漠然と思っていました。でも、昔から病気になったり障害を持ったりというのは、だれにでも可能性があるという考えだったので、そういう意味では落ち着いていました。宝くじも当たらないのに、こんなものに当たってしまったのかとは思いましたけど(笑)。
――当時、工藤さんは社会人だったわけですよね。術後の生活を想像して不安になったりというのはありましたか?
正直なところ、何も考えていなくって。というよりは、生活がどう変わるかというのが想像できなかったのかもしれません。それに、当時の装具は今ほど質の良いものが少なかったですし、皮膚・排泄ケア認定看護師は現在全国で約1,800人いますが、その頃は50人くらい(当時はETナース(ストーマ療法士))しかいなくて、ストーマケアの相談をするのさえ難しい状況でした。なので、自己流でなんとかやっていました。インターネットも今のようにありませんしね。私が手術をした病院にも人工肛門の患者は私しかいないので相談できる人もおらず、そういう寄り辺のない不安はありました。
――ストーマを造設した当初のお気持ちを教えてください。
装具の交換を一人でやっていて……こう、涙が出てくるんですね。「何でこんなことしてるんだろう」って。ストーマが嫌とかじゃないんですが、装具の交換や、トイレでの処理に手間取ったり、なかなか慣れることができなくて。漏れたりすると数日は落ち込んでしまったり……。「なったものはしかたない」と思っている反面、気持ちの整理がつかない自分もいて、悲しくなって泣いてしまうんですよね。今では想像できないと言われますけど、当時の私を知っている人たちからは、いまだに工藤さんすごく暗くてどうなっちゃうかと思ってたよと言われます(笑)。
最初は戸惑いもあったけど、段々と泣く回数が減っていきました。毎日泣いていたのが、3日とか1週間とか、間隔があいていって。今はもう、「なんとかなる!」と思っています。というか、なってしまったものは仕方がないですしね。
――体の変化によって、交友関係など日常生活においてはどのような変化がありましたか?
ガスの音や漏れたりしないかなどが不安で、友人と外出する機会が最初のころは少なくなりました。ストーマを造設したということも、本当に仲のいい子にしか言えなくって。言えない人とは一緒に出かけられなくなりました。そういう意味では、友人が減ったかもしれません。でも、相談できないということは、そこまでの関係でしかなかったのかなとも思うんです。
◆体の変化を受け入れられた「きっかけ」
――ご自身の体の変化を受け入れられるようになった、きっかけは何なのでしょうか。
日本オストミー協会の存在が大きいです。医療事務をしている妹が周りの看護師の方たちに聞いて調べてくれて、市内の病院にいろいろな病気に悩む患者の相談窓口があるということを知ったんですね。そこで、日本オストミー協会の兵庫県支部の情報を教えてもらったんです。ストーマを造設してから3ヶ月ほど経った頃でした。
当時、兵庫県支部ではストーマに精通したETナースの方を招いての相談会を開いていました。当時は入院していた病院でもほとんど情報を得られなくて、何をどうしていいのかわからない状態だったので、早速、相談会を訪ねて、希望の光が差してくるような思いだったことを覚えています。相談会には他にもたくさんの相談者が来られていました。自分の祖父母ほど年齢が離れたオストメイトの方ばかりでしたが、自分と同じ境遇の方と出会えたのはとても幸運なことでした。「自分だけじゃないんだ」というのがわかると、勇気づけられましたし、元気が出てきて。
当時からのお知り合いの方たちは、部屋に入って来た私を見て「この子は一体どうなっちゃうんだろうと思った」と当時のことを話します(笑)。でも、よっぽど暗かったということですよね。親に連れられ、泣きそうな顔をしていたそうです。
――でも、そんな工藤さんが今は若いオストメイトの方たちが悩みを相談できる場をつくっているわけですよね。
当時の私が抱えていた妊娠や出産についての悩みを相談できるところがなかったので、そういう会をつくりたかったんです。それで、他支部との交流会で出会った同世代の女性オストメイト4人と一緒に「ブーケ」を立ち上げました。34歳の時なので、オストメイトになって10年以上が経っていました。
――ご自身のつらい体験が「ブーケ」をつくる原動力になった。
そうですね。自分がそういう思いをしていたので、他にも同じ思いをしている人が必ずいるだろうと思っていました。立ち上げから10年以上が経った今では、北は北海道・南は沖縄まで全国に350人以上の会員がいます。最初は関西のほうで少人数でやっていましたが、新しく会員になった方がホームページで紹介してくれて、そういったところから広がりだしたんです。
今ではインターネットのお陰で患者の方同士が気軽に交流できるようになりました。同じような悩みを持っている人がいれば、遠距離でも今はメールなどで連絡が取れますしね。「ブーケ」では、ご希望によっては同じ悩みを持つ人同士の紹介などもしています。
◆病気の代わりに手に入れられたもの
――「ブーケ」の存在を知った若いオストメイトの方からは、どのような声があがっているのでしょうか。
ありがたいことに、「『ブーケ』があって良かった」「つくってくれて、ありがとう」という言葉をいただくことが多いです。「『ブーケ』がなかったら、私はどうなっていたかわからない」という方もいて。やっぱり、同年代の方と話し合い、励まし合えるというのが大きいようです。
――そういった声が、会を継続するモチベーションになっていらっしゃる。
そうですね……、そうなんですよね。いろいろやることがあって大変だったりもするんですけど、「元気になれた」と言ってもらえると、自分も同じ思いを体験してきましたから。やっぱりね、入会した前後で全然印象が違うんですよ。それこそ昔の私じゃないですけど、すごいネガティブになってしまっている方がどんどん元気になっていく様子を見ていくと、「ああ、良かった」って。
これからストーマを造設する方やオストメイトになったばかりの方には、「なんとかなる」ということを伝えたいです。私自身がそうでしたが、いつまでも下ばかり向いていたら損じゃないですか。前向きに明るくやっていかないと、もったいないですよ。
私は23歳の時にオストメイトになって、今47歳。自分の人生の半分以上をストーマを着けて生きているんだなあ、と先日ふと思いました。けっこう長いことストーマと一緒に生活してきたんだなあって。病気になって、ストーマを造設して、それまでの生活とはがらりと変わってしまったけど、決してマイナスばかりではなく、いいこともたくさんあったよなあって、秋だからか物思いにふけってしまいました(笑)。日本オストミー協会と出会えたことはもちろん、ブーケを立ち上げたことで自分自身が大きく変われたように思います。
――今現在、工藤さんはご自身の体について、どのように受け止めてらっしゃるのでしょうか。
この体になってなかったら、もっと違う人生だったかもしれません。ごくごく平凡な毎日だったのかも。でも、がんになったこと、ストーマを造設したことで、たくさんのいい出会いがありました。もしこうなっていなかったら、きっと出会えなかった人たちです。今のたくさんの方々とのつながりは、私にとって生きていく上でとても大切なものとなっています。もちろん、病気になるのはいいことじゃないんですけど、その代わりに得られたものがたくさんある――そんな風に思うんです。
やっぱり、女性だとストーマ造設後のファッションが気になりますよね。私の場合、手術前に着ていたタイトスカートやジーンズはすべて捨ててしまったんですけど、「服捨てんときよ!」と忠告しておきます。すみません、兵庫県民なので、関西弁……いや播州弁がつい出てしまいます(笑)。
ついつい思い込みで「ゆるいシルエットの服を」と思いがちなんですけど、慣れると意外と大丈夫なんですよ。ジーンズもはけます。だから、ストーマに慣れてから服は捨てましょう!! 私はコロストミーなんですが、タイトなスカートを履くとストーマのあるところが「ぽこっ」となってしまうので、そういう時はその部分がトップスで隠れるようなコーディネートにしています。
ストーマの種類も状態も人それぞれなので、自分にあった服装を見つけていくといいと思います。最近は、オシャレでかわいくてお腹も隠せる、というチュニックがブーケメンバーの間でも流行っています。私は無理ですがローライズのジーンズを履いている人もいますよ。手術直後はいろいろ不安もあるし、なかなかオシャレまで頭が回らないかもしれませんが、半年、一年……落ち着いてきたら、オシャレをしてどんどん出かけるといいと思います。