INTERVIEW | 関口陽介さん

 関口陽介さん インタビュー

【関口さんプロフィール】
関口陽介(せきぐち・ようすけ)
1987年、東京都生まれ。日本オストミー協会内の「20/40フォーカスグループ」、若年性がん患者の団体「STAND UP!!」など、複数の団体に所属している。オストメイト向けのスマートフォンアプリ「オストメイトなび」のプロジェクトでは、共同代表を務めている。







◆オストメイトのためのアプリを開発


オストメイトのためのアプリを開発――関口さんは21歳当時の7年前に、横紋筋肉腫(おうもんきんにくしゅ)という小児がんが原因で、オストメイトになりました。現在、人工肛門と人工膀胱、計3つのストーマを造設なさっています。まずは、関口さんが現在行っている活動について教えてください。
日本オストミー協会内の「20/40フォーカスグループ」という、20代から40代のオストメイトが中心になった団体の運営メンバーの一員です。具体的には、団体のブログやFacebookページの更新、会報誌の執筆などの広報活動を主に担当しています。ほかにも「STAND UP!!」という若年性がん患者の団体など、病気に関連する複数の団体に所属しています。私は成人してから小児がんになるという、かなり珍しいケースということもあって、イベントで自身の体験談をお話しさせていただく機会も少なくありません。


あとは「オストメイトなび」という、“オストメイト対応トイレ”や“ストーマ装具の取り扱い店舗”などの検索ができる、スマートフォンアプリの開発プロジェクトの共同代表を務めています。



――「オストメイトなび」については、先日、「READYFOR(レディーフォー)」というクラウドファンディングのサイトでプロジェクト運営のための活動費を募ったところ、当初の目標金額100万円を超える支援金が集まりましたね。多くの反響を集めたことについて、どのようなお気持ちでしょうか。
まずは最初の目標金額を達成できたことに、ほっとしています。2015年の5月にリリースしたアプリですが、今後の機能の拡大や維持費用には維持費用が必要になるので。また、今回のクラウドファンディングを通じて、まだその存在を知らない人にオストメイトを知ってもらうというのが裏テーマとしてあります。なので、募集開始からわずか19日で目標金額を超えたという反響には、少しの手応えも感じています。



――オストメイトなびは、どのような経緯で開発されたのでしょうか。
もともとは「AppliCare(アプリケア)」(※)という、学生向けの医療系アプリの開発コンテストに向けて構想されていたものなんです。私はもともとそのプロジェクトには携わっていませんでしたが、開発を進めるにあたって「オストメイトの実際の声を聞こう」となったとき、オストメイトの団体を通じて私のところに声が掛かりました。そのときに会ったのが、プロジェクトのもう一人の代表(=神戸翼さん)です。


※=関口さんらのチームは2014年の夏のコンテストで準優勝



――神戸さんと関口さんは、ともに慶應義塾大学の大学院に通っていると伺っています。
はい、学校が同じというのは偶然でしたが、振り返ってみるとよかったなと思います。初対面でも親近感を持つことができましたし、プロジェクトを進めるにあたってコンタクトを取りやすいですし。でも、最初に話を聞いたときは驚きました。若い人が……って僕が言うのもおかしいんですけど(笑)、オストメイトは高齢者の方が多いじゃないですか。なので、僕と同年代の人がオストメイトに興味を持ってアプリをつくろうとしているなんて、と思ったんです。プロジェクトメンバーの周りにオストメイトがいるわけでもなかったので。



――いまでは、当事者である関口さんがメンバーとして在籍していると。しかし、コンテストへの参加が終了したにも関わらず、いまでもプロジェクトが続いているのですね。
私たちのようなケースは、めずらしいようです。コンテストでアイデアを発表して終わり、というほうが多いと思うんですよね。実際にアプリのリリースまで行うと、開発などに掛かるお金の問題もあるので。私たちは現在、NPO法人化に向けて申請書類を提出して審査中の状態で、10人以上がプロジェクトメンバーとして名前を連ねています。



――オストメイトなびの機能を充実させていく準備を整えているのですね。今後、活動としてアプリ制作以外にも何か行う予定はあるのでしょうか。
現時点では、アプリだけのことを考えています。というのも、まだまだ情報の密度に地域差があるので。東京都内だけでも地域差がかなりありますし、北海道についてはまったくの手付かずです。なので、まずはアプリを充実させていこうと考えています。







◆21歳で小児がん、そしてオストメイトに


――次に、関口さんがオストメイトになるまでの経緯を伺いたいと思います。身体の異変に気付いたきっかけは、どのようなことでしたか?
腹部の違和感や、お尻の痛みを感じていました。お腹が痛くなることはだれでもあると思うんですけど、いつもの痛みとは少し違った痛みを感じて。決して耐えられないほどではないんですが、「なんかおかしいな」と。


最初に違和感を覚えてから2週間ほど経った頃、痛みが急速に強くなり病院へいきました。最初はどのような病気かわからなかったんですが、検査を進めていくうちに腫瘍が大きくなって破裂した疑いが出てきました。なので、まず手術をして腫瘍を摘出して――「横紋筋肉腫」という診断が下ったのは、それから3週間ほど経ってからのことでした。ちょうど、いま(=取材は9月中旬に実施)と同じくらいの季節でしたね。その頃も現在と同じ大学に通っていて、当時は学部3年生でした。



――オストメイトになるというのは、手術の時点でわかっていたのでしょうか。
はい。直腸と一緒に腫瘍を摘出するので人工肛門になります、と。ただ、話を聞いたのは手術の数時間前のことでした。それまでは自分が人工肛門になるなんて、まったく考えてもいなかったくらい突然のことで。ただ、腫瘍の破裂疑いによる緊急の手術だったのと、痛みがひどかったので、人工肛門になるということよりも「痛みをどうにかしてくれ」という気持ちのほうが強かったように思います。



――当初は人工膀胱の予定はなかったのですか?
腫瘍の摘出手術を始める時点では、だれ一人想像していなかったことだと思います。というのも、手術のときに尿管に誤ってメスが入ってしまって、尿管が損傷してしまっていたんです。手術後、オシッコが出ないことからわかったんですけれど。



――そうだったのですね。さらに人工膀胱のストーマが増えるということに、抵抗もあったと思いますが。
“0”から“1”になるのは受け入れがたいことですけど、もうすでに人工肛門ができていましたし、“1”から“3”になるときは、そこまで……というよりも、そうせざるを得なかったので。ほかの手段もないので仕方がない、と割り切りました。手術後は、抗がん剤などの治療で1年4ヵ月にわたって入院していました。病院のなかでは、何かあってもだれかが対処してくれるので、そこまで困るようなことはなかったと思います。


そういう環境で、オストメイトになってからの最初の1年を過ごせたこともあって、復学してからもさほど困ることはなかったと思います。困ることがないと言うと語弊があるかもしれませんが、工夫をすればどうしても解決できないようなことはなかったです。一番大きいのは、パウチを交換するスケジュールの管理ですね。正直、めんどうな部分でもあるのですが。いまは夕食の前に帰宅するようにしているのですが、その時間帯には予定が入らないよう、前々から調整するようにしています。








◆オストメイトが暮らしやすくなるように


オストメイトが暮らしやすくなるように――その後、現在のように各団体に所属したり、啓蒙活動を行うようになったきっかけは何だったのでしょうか。
団体に所属したり、啓蒙活動をするようになったのは3年前からです。オストメイトになってから最初の3・4年は頻繁に入退院を繰り返していたので、体力的に余裕がありませんでした。最初に小児がんの経験者の集まりに参加したのが3年半ほど前のことで、SNSでつながっていた人に紹介してもらったのがきっかけだったと思います。偶然、家の近くで開かれていることを知って、行ってみたんです。それから、ほかのいろいろなイベントに顔を出すようになり、オストミー協会にも入りました。



――それが、結果的に現在の「オストメイトなび」にもつながっているのですね。関口さんの今後の活動の展望について教えてください。
「オストメイトなび」を充実させることと、多くの人にオストメイトの存在を認知してもらえるようにと思っています。認知が広まれば、たとえば周りのだれかがオストメイトになったときに「こういうアプリがあるよ」「こういう団体があるんだって」と教えてあげることができますよね。


世間への認知や理解が進めば、オストメイトの人たちはもっと暮らしやすくなるように思うんです。自分はまだ学生ということもあって、オストメイトであることや、がん患者であることの不利益を肌で感じることはあまりありません。ただ、周りの人たちの話を聞いていると「まだそんなことがあるのか」と思うようなことが、たくさんあるんです。たとえば、求人の応募をして、オストメイトであるとわかってから、一切連絡が来なくなってしまったなど……もちろん、そういう企業ばかりではないと思うのですが。



――自身がオストメイトであることを公言し、啓蒙活動をしている関口さんは強いなと思います。強くならざるを得なかったのかもしれない、とも同時に感じていますが。
普通の人の頑張りが“100”だとしたら、私たちが“100”頑張るのは厳しくても、頑張って近付いていかないといけないのかなと思うんです。こういう身体になってしまったから、100%社会の庇護(ひご)下にあるというのは少し違うのかなって。


それに、いまのようにまだまだ認知がされていない状況を変えるには、他ならぬ自分たち自身が動かないといけないだろうとも思っていて。どれだけ訴えたところで簡単に人々に届くものではないでしょうし、自分たちが何かを成すことが一番説得力があると思うんです。



――来年の4月からは社会人ということですが、関口さんの人生そのものが、若いオストメイトの一つのロールモデルになっていくのでしょうね。本日はありがとうございました。