INTERVIEW | 日野創さん

日野創さん インタビュー


【日野さんプロフィール】
日野創(ひの・はじめ)
1974年、埼玉県生まれ。消化管の先天的な病気(ヒルシュスプルング病)の影響で、生後3ヶ月でオストメイトに。過去にストーマを閉じるも、再び造設。小児オストメイトの「つぼみ会」会長で、20代から40代のオストメイトの会「20/40フォーカスグループ」の立ち上げにも携わった。現在、都内の病院で看護師として勤務している。







◆ストーマの存在が当たり前だった子ども時代
ストーマの存在が当たり前だった子ども時代――日野さんは現在、小児オストメイトの患者会「つぼみ会」の会長を務めていらっしゃいます。ご自身も「ヒルシュスプルング病」という消化管の先天的な病気の影響で、生後3ヶ月の時にストーマを造設していますね。まずは、幼い頃からオストメイトとして過ごしてきた日野さんにとって、ストーマがどのようなものなのかを教えてください。
単純に、ないと困るものですよね。ストーマがあったから、病気をしていても、いろいろなことができた。僕、何度かストーマの造って・閉じてを繰り返しているんです。「やっぱり、ないとダメだ」と思って。



――では、幼少時代から、今に至るまでの経緯について教えていただけますか。
まず、生後3ヶ月で一度ストーマを造って。でも、3歳ぐらいで閉じたんです。その後、小学2年生の頃にもう一度人工肛門にして。それから高校3年生の時までは、ずっとストーマがありました。



――その当時、ストーマがあるということに対して、周囲との違いは理解していましたか?
小学生の頃に思っていたのは、「友だちにはないものを持っている」ということでした。でも、それをマイナスとは捉えていなくって。友だちに「見せて」って言われた時なんかは、ちょっと自慢げに見せてましたよ(笑)。「友だちは持ってないおもちゃを見せる」みたいな感覚で。



――当時から、そのように前向きに捉えることができたのは、どうしてなのでしょうか。
幼稚園の頃はストーマがなくって、排泄の管理がちゃんとできていなかったんです。ストーマは「その問題を解決してくれるもの」というのは、子ども心にわかっていたんだと思います。それに、ストーマがあることで何ができないっていうこともなかったですしね。


体育の授業のプールや鉄棒はできなかったんですけど、僕はそもそも水が嫌いで泳げなかったんです。だから、「いい時にストーマができたぞ!」って(笑)。そういう、自分の中での小さいプラスがあったので、ストーマのことを肯定的に受け入れられていたんだと思います。



――ただ、子どもはストレートすぎる分、時に人を傷つけることもあります。嫌な思いをしたことは。
高校生の時に、他のクラスの生徒から「お腹に機械でも付けてんの?」と言われたことはあります。人工肛門の「人工」のことを機械と勘違いしての発言だと思うんですけど。まあ、言いたい人には言わせておけばいいや、と。そういう発言をする人もいれば、好意的な人だってもちろんいるわけで。



――そういうことも含め、思春期になるにつれて、ストーマに対するプラスの意識が変わっていったことはありましたか?
それが、なかったんです。自分にとってはストーマがあるのが「普通の状態」なので、たとえば「どうして自分は右利きなんだろう」と疑問に思わない感じに似ています。深く考えなかったですね。むしろ、ストーマがなかったら、もっと大変でしたでしょうし。あれもできない、これもできない――プールや鉄棒どころじゃないですからね。あってよかったな、と。


思春期を過ぎてからストーマを造った人とは、少し受け止め方が違うのかな、とは思います。ただ、僕にとっては、ストーマがないことには生活していけなかったので。あるのがごく当たり前の存在なんです。







◆閉じこもった2年を乗り越え、看護士に
――「ないことには生活していけなかった」というストーマを、高校3年生の時に一度閉じたと冒頭でお話していましたが、それはどうしてですか?
医師から「閉じられるけど、どうする?」という話があって、ストーマのない生活を経験するのもありかな、と思ったんです。ストーマのある生活に何ら不自由は感じていなかったので、好奇心に近い感情でした。幼稚園時代もストーマを閉じていたんですけど、今そうしたら、どうなるんだろうと。


でも、結局は排泄の管理がうまくいかずに、手術してから2週間で「もう一度ストーマを造ってほしい」と医師に話しました。いつ便意が来るのかがわからずに、勉強やほかのことが手に付かないようになってしまって。医師には「早すぎる」と言われましたけど。まあ、そうですよね(笑)。でも、それくらい大きな問題でした。専門学校への進学が決まっていましたが、結局入学を辞退して、高校を卒業してからは仕事もせずに、家でごろごろしていましたから。



――再びストーマを造設したのは、いつだったんでしょうか。
2年後です。診察の度に「ストーマを造ってください」「もう少し頑張ってみて」の押し問答を繰り返していたんですけど、医師が根負けして。よく「ストーマを閉じて生活している人もいるから、君も頑張ってみてよ」と言われたんですけど、その人と僕は違うんですよ。無理なものは無理だ、と思った。医師も「このままじゃ、本当に外出もせず学校にも行かないままだな」と感じたんだと思います。



――2年間、家にいた分、いろいろな行動への欲求が出てきたのではないですか?
そうですね。「したい」という気持ちと「しなくては」という気持ちの両方がありました。ストーマを造って、言い訳のできない状況になりましたから。その後は、看護師の専門学校に入学しました。


元々、ストーマに携わる仕事に就きたいと思っていたんですが、装具の会社というよりは、小さい頃から身近な存在だった医療者が、進路の選択肢として浮かんだんです。今までたくさんその人たちにお世話になってきたので、逆の立場になって働くのもいいな、と。



――ほかにも、何か希望していた職業はありましたか?
調理師になりたいな、とも思っていました。でも、テレビ番組を見ていて「一週間同じメニューを食べ続けられる人には向かない」と紹介されていて、「あ、ダメだ」と。食べられれば何でもいいや、っていう考えなんですよ(笑)。保育士もいいなあ、と思っていましたが「え、ピアノの試験!? 楽譜読めないよ!」って(笑)。専門学校を卒業してからは実際に看護師として働いていて、間違った選択ではなかったな、と思っています。


ストーマを持っている患者さんに、医療的な知識を踏まえた上で自分の体験も伝えられる――こういう仕事がしたかったので、充実感を感じています。



――現在は、ストーマを扱う認定看護師を目指しながら、都内の病院で働いているんですよね。
はい。僕が目指しているのは、ストーマケアを含む皮膚・排泄ケアの認定看護師です。一人のオストメイトとしてではなく、看護師としてでもなく、認定看護師として話すからこそ、説得力が増すというか。オストメイトの僕が認定看護師としての深い知識を持つことで、ストーマケアに悩む患者の方に、より納得のいく形でアドバイスができると思っています。







◆「これはダメ、あれもダメ」ではもったいない
「これはダメ、あれもダメ」ではもったいない――看護師いうと、患者の方を抱きかかえることもあると思いますが、何か苦労していることはありますか?
装具がはがれない限り、においがしたり汚れることもないので特にはないですね。装具を付けていることが問題ではないので、「はがれないようにするにはどうすればいいか」を認識しておくことが大切です。装具交換のサイクルさえ意識しておけば、はがれることもありませんし。


患者さんの移動のサポートに関しては、体重が軽い方なら一人でもできますが、もともと二人で行うのが普通なので。



――職場の方は、日野さんがオストメイトということはご存知なんですか?
知っている人もいれば、知らない人もいます。職場が職場なので、「知られて嫌だ、困る」ということはありません。かといって、自分からアピールすることでもないので、機会があれば話すという感じです。そういう意味では、恵まれた環境にいるのかな、と思います。



――でも、日野さんなら、どこの会社でもうまくやっていけるのではないですか? これまでの話を聞いていると、そう感じます。
小さい頃から、ストーマのことをポジティブに捉えていた、というのは大きいかもしれないですね。



――食生活や服装など、普段生活する上で、ストーマのことで工夫していることはありますか?
本に書いていることや、人から聞いたことばかりを気にして毎日の楽しみを狭めるのではなく、結局、自分で学習して確かめることかなって思うんです。食事に関して言えば「何をどれくらい食べると、こうなる」っていうのは、一人ひとり違うので。休みの前の日に試して、お腹を壊す・においがする・ガスが出やすいなどを確かめるのがいいかな、と。あとは、元の病気との兼ね合いですよね。


服に関しては、僕は着たいものを着ています。もちろん、体型やストーマの位置で気を付けることはありますが。ストーマが目立たないようにと、ゆるいシルエットの服を着ている人も少なくありませんが、他人って、思っている以上に自分のことを見ていないんですよ。それをどれだけ、頭の中で意識できるかだと思います。


オストメイト向けの冊子に、「銭湯に入る時は、ストーマが左に付いている人は左端に座れば目立ちません」ということが書いていますよね。確かにそうなんですが、銭湯で他人の体をジロジロ見る人って、そうそういないんじゃないかなって思うんです。自分だって、他の人の体なんて見ませんし。座る場所まで気にしなくても、タオルをお腹に当てるくらいで充分なんじゃないかなって。過度に意識してしまうと、疲れちゃいますからね。初めから自分で「これはダメ、あれもダメ」と思わずに、いろいろ試した上でボーダーラインを設けるのがいいと思います。








◆小児オストメイトの未来が見える場所
小児オストメイトの未来が見える場所――日野さんは小児オストメイトの患者会「つぼみ会」の会長を務めていますが、つぼみ会はどのような活動をしているのでしょうか。
毎年春にお花見、夏に一泊旅行、秋に保護者の方のお食事会を開いています。活動というよりは、場の提供ですね。子どもたちは30人ぐらいなので、ちょうど学校の1クラスぐらい。全員が全員の顔を覚えているぐらいの人数で、非常にいい規模だなと。うちはホームページもなければ広報活動もしていないんですが、閉鎖的というわけでもないんです。毎年、会員の方からクチコミで聞いたという方が2・3名入会していますし。



――規模が増えるのはいいことばかりではなくて、会員同士の関係が希薄になってしまうこともありますしね。
そうなんです。今ぐらいの人数で、気の知れた人たちとじっくり話したいからこそ、会員のみなさんは何年も所属しているので。会の保護者の方が「本当に必要としている人じゃないと、この会にはたどり着けないよね。探して、探して、探さないと、この会にはたどり着ないよね」と言ってくださったことがあります。ああ、つぼみ会のことを大切に思ってくださっているんだな、と感じました。


オストメイトの子どもたちはもちろん、お母さんたちにとっても必要な場所なんですよね。同じような境遇の人たちと話せばアドバイスが聞けるし、悩みが解決するかもしれない。それと、うちの会員の方たちは関東圏――中でも都内にお住まいの方が多くて。近所に同じような境遇の人はなかなかいないでしょうから、貴重な出会いの場でもあるんだと思います。



――小児オストメイト特有の悩みというのはありますか?
装具のことや就学のことが多いですね。これは別の会で聞いた話なんですが、今まではトイレから近いクラスの教室に入れてもらっていたのが、年度が変わって一番遠い教室になってしまった、など。あとは、「自分の子どもはちゃんと成長してけるのかな」と心配される保護者の方もいるんですが、会には幅広い年齢の子がいるので、お兄さんやお姉さんを見て「自分の子どもも大丈夫なんだ」と、安心できるみたいです。


僕自身、高校生の頃につぼみ会に入っていたんですが、僕より小さい子を持つお母さんから、将来のモデルイメージのように見られていました。その後、会長が不在になった時も手を挙げたのは、そういう会の必要性・役割というものを強く感じるようになったからなんです。まあ、会長っていっても、何もしないんですけどね(笑)。企画自体は保護者の方たちがやってくださっているので、僕はいろいろな調整係です。



――最後に、子どものオストメイトを持つ親の方たちに、日野さん自身の経験からアドバイスなどがあれば教えてください。
僕がやってきて良かったなと思うのは、病歴・手術歴の詳細をまとめておくことです。子どもって「いつ、どんな手術をして、今どんな状態なのか」っていうのを、ちゃんと覚えてないんですよね。でも、これがあると、出先で初めての病院に行くことになっても、医師が見れば、何をどうすればいいのかがすぐにわかる。紹介状みたくまとめてもらっておく。母子手帳のように、まとめておくと後々役に立つはずです。